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Luminous Motion ルミナス・モーション

アメリカ映画 (1998)

エリック・ロイド(Eric Lloyd)が主演する 「上手に作られていたら、芸術性が高かったかもしれない」映画。原作は、Scott Bradfieldの処女作『The History of Luminous Motion』(1989)。窃盗癖のある母と少年のロードムビー的な側面は、『Bringing Up Bobby(リセット)』(2011)を思わせるが、この映画の真価(もし、あるとすれば)は、「放浪」の部分ではなく「定住」部分にある。そこでの、「崩壊していく主人公フィリップの精神」が原作のメインだからだ。しかし、映画では、その部分を、精神の崩壊としては描かず、第1の定住先では、「単に唐突な行動」として描き、第2の定住先では、「第1の定住先で殺そうとした男性の亡霊」の教唆を強調し過ぎている。本来は、フィリップの精神が崩壊し、それが「亡霊の教唆」となって具体化するのだが、精神崩壊が描かれていないため、ただバタバタと話が進んでいくだけで、観客には何が起こっているのかさっぱり分からない。TVがメインの女性監督には重荷だったのか? 不思議なのは、脚本を書いたのが原作者本人ということだ。小説の内容を熟知しているため、観客も了解していると思い、肝心の部分をカットしてしまったのだろうか? それにしても、これほど自分の小説を切り刻んで 駄作にしてしまうとは…

主人公の8歳のフィリップは、定住が大嫌いで、母との行方の定まらない旅をいつまでも続けていたい。しかし、母は、売春と窃盗を続けることに疲れ、心優しい男やもめペドロと遭遇し、「定住」を決意する。しかし、慣れない生活でフィリップのストレスは限界を超え、不安定な精神状態の中で、自分が何をしているか正確に把握できないまま、ペドロを殺そうとする〔殺したのか、重傷を負わせただけなのかは不明〕。その後、しばらくは流離の旅が再現するが、母は、自ら再「定住」の途を選ぶ。そして、アルコール漬けになり部屋に閉じ籠もって自分だけの世界に浸る。フィリップは、窃盗癖がありオカルトに凝っているロドニーや、その彼女のベアトリスと知り合う。しかし、そこに、電話の連絡をくれていた「父」が乗り込んできて、フィリップの自由な日常を脅かすようになる。最初は、「父だから」ということで許容していたフィリップだったが、「父と母と3人での新居生活」という脅威が現実のものとして迫ってくると、再び不安定な精神状態に陥ってしまう。父を毒殺しようとするが、激しい胃痛に襲われただけで死には至らない。ロドニーに頼んで呪い殺そうとするが、それも失敗。しかし、胃癌だと思い睡眠薬自殺しようとした父の遺書を読んで、フィリップの気持ちは変わる。映画の最後は、一命をとりとめた父と、アルコール依存から立ち直った母の3人で、人間として成長したフィリップが新しい生活を始める〔母はすぐに姿を消す〕。恐らく、映画は、このような筋書きなのであろう。これは、原作を参考にして再構成した映画の全体像である。しかし、映画を観ているだけでは、「不安定な精神状態」という確信はなかなか得られない。フィリップが殺そうとしたペドロが、後になって何度も登場して父の殺害を教唆・支援する場面や〔一見すると亡霊に見える。もしそうならペドロは死んだことなる。しかし、フィリップが創り出した虚像の場合は、フィリップが最後に見た姿をしているとすれば、重傷だが、生死は不明〕、最後の新生活に至る部分が、きわめて分かりにくい。その理由は、原作では詳しく説明されている「不安定な精神状態」に至る経緯が省略され、さらに、父の自殺未遂後のフィリップの矯正部分がカットされているため、「何がなんだか分からない」という展開になってしまっているからだ。フィリップの「精神錯乱」の背景には、アルコールと麻薬の大量摂取があるのだが、エリック・ロイドは、そのような放蕩児の役には全く向いていない。カナダ映画『10 1/2』(2010)でトミーを演じたRobert Naylorくらいの「不快な不良性」が必要だが、原作では、かなり高度な言葉を駆使するので、むしろ、『The Boy Who Cried Bitch(やれよ、くそ女)』(1991)で知能指数の高い異常者を演じたハーレイ・クロスのような子役なら、映画は変わっていたかもしれない。もちろん、脚本も抜本的に変える必要があるが。

エリック・ロイドは、原作では10歳の問題児の役を、12歳で演じている。しかし、どうしても役不足の感は拭えない。しかし、それは、エリックのせいではない。彼のTV以外の主要な出演作、『愛が微笑む時』(1993)、『サンタクローズ』(1994)、『Let's チェックイン!』(1996)、『地球は女で回ってる』(1997)などは、すべてコメディだ。だから、もともと、この映画のように複雑なキャラクターを演じられるタイプではない。明らかにキャスティングのミスだ。


あらすじ

映画は、フィリップの回顧的な独白から始まる。「僕の幼少期は、まるでゴーストタウン。ぼんやりした心象と悪夢でしかない。当時を振り返っても、僕の記憶は幻想と絡まってしまい、現実に起きたことなのか、そうでないのか見分けがつかない」。画面は夜の町を走る車に変わる。助手席に座った男が、後ろを振り向き、フィリップに話しかける。「君の母さんのおっぱいは最高だな」。今度は、別の男が座っている。「なあ、坊主、そんな憮然とするな。こんなママ持ててハッピーなんだぞ」。次の男:「君の母さんは、実に素敵な女性だ。それに感謝するんだな」。4人目:「男の子は母親が好きなもんだ。君もそうか?」。初めてフィリップの顔が映る。「好きだよ。あんたもかい?」(1枚目の写真)。このシーンは、母が、男を連れて、売春のためモーテルに向かう途中での光景。息子を一緒に乗せるところが怖い〔フィリップを車で待たせておき、母と客はモーテルで過す〕。いつしか場面は、同じ夜の車内でも、母子の2人だけのシーンに変わる。後部座席に座って本を読むフィリップ。「ママは自分一人の世界に生きている。そこは、誰も伺いできない秘密の想いや揺らぎに満ちている。ママと僕とは、親子以上の関係だ。僕たちは地図のように正確で、ICBMみたいにいつも場所を変えているが、いるべき場所にちゃんといる」。フィリップが、本に書いてある言葉を読み上げる。「Chemotropism: Movement or growth of an organism(走化性: 生物体の行動もしくは生長。特に化学的な刺激を受ける植物)」(2枚目の写真)。そして、母に「ねえ、僕たちも走化性があるね」と話しかける。母:「もっと他のものじゃない?」。「じゃあ、化学物質かな? 刺激性のある」。「そうね。そのエネルギーで 何する? 誰も行ったことのない所に行くとか… 木が 木じゃない所」。「道が 道じゃない所」。「ママだって ママじゃないのよ」。「ママ、こうしようよ」。「なあに?」。「時速120マイル〔190キロ〕出そう。さあ。やれるって」(3枚目の写真)。「どうかな、この車 古いから。運が良ければ売れるかも」。「売るの?」。「もっと早い車に替える」。「120マイル出せれば、120歳まで生きられる」。2人のやりとりは、母と10歳の子供の会話とは思えない。
  
  
  

ニューヨークはブロンクスのダイナーで、母は化粧室に入り、これから客になる男とフィリップが話している。変な取り合わせだ。「なんで母親に引きずりまわされてる? 父さんと暮らした方がいいんじゃないか? 父さん、いるんだろ?」。「もちろん、いるさ。誰にだっている。自然の摂理だ」(1枚目の写真)。かなり、こましゃくれている。そして、「知ってた?」と訊く。「何を?」。フィリップは男の後ろを指して、「そこにいる」と言って男を慌てさせる。誰もいない。「おっと、あっちだ」。そこにいたのは従業員。「たわごとだ。ここにはいない。だろ?」。「僕は、いつでも 好きなこと言うんだ」。またまた生意気な言葉。その時、フィリップは、男の腕のロレックスに気付く。「彼女、いつまでかかるんだ?」。画面は急にモーテルに変わる。部屋から母がこっそりと抜け出してくる。フィリップの様子から、かなり待たされたことが分かる。母:「待った?」。「いいって。過去のことさ」。「現在はどう?」。母の腕には男のロレックスが。フィリップは大喜びで頂戴する(2枚目の写真、矢印は時計)。母は、口に殺菌スプレーをかけると、フィリップとキスし、車を出す。「ほとんどの人は、ママのことが理解できないだろう。でも、僕にとっては、ママと一緒にいれば、変化を楽しめる」。
  
  

「他には何を 持ってきたの?」。「ちょっとしたもの。見てみたい?」。フィリップは助手席に移る。母が手渡したものは札束。財布から全額抜き取ったのだろう。「古い本なんか捨てて、新しいのでも買ったら」(1枚目の写真、矢印は札束)「取り残されちゃうわよ」。フィリップは、「新しい世界に?」と茶化す。「分かった。貯金しましょ」。「それで、何に使うの?」。一番使いたいものに使ったら?」。フィリップは、数えながら箱に入れていく。「もし、ママが捕まったら、その箱持って逃げるのよ」。「捕まらないよ。だってさ… 僕ら原子なんだ。違う、素粒子だ。どういうことか分かる?」。「分からないけど、小さそうね」。「探知できない、ってことさ」。次のシーンでは、フィリップがモーテルの部屋の前で 双眼鏡で月を見ていると、母がTVを抱えてドアから出てくる。「チェック・アウトするわよ」(2枚目の写真)。もちろん、TVを売って小銭を稼ぐつもりだ。その時、フィリップは、1人の男が双眼鏡で自分達を見ているのに気付く。それは、フィリップの父だった。フィリップの父は、原作でもやり手の企業家という設定だが、なぜ、妻と子を「売春と窃盗のた旅」に平気で行かせているのか、納得できる説明は何もない〔映画では、さらにない〕。しかし、離婚しているわけではなく、探偵を雇って後をつけさせている。原作での登場はもっと後になるが、映画では、かなり早い段階から姿を見せる〔それがかえって映画を分かりにくいものにしている。例えば、忙しい企業家なのに、なぜ、ど田舎のモーテルまで来て監視する時間があるのか? 原作では、母子と一緒に暮らそうと家に来るまでは、電話での接触しかない〕。盗んだTVと一緒に車で立ち去る2人。「僕らは、誰にも煩わされることなく、いつも一緒だった」。朝。車の窓ガラスを拭きながら、言葉遊びをする2人。単語はH。フィリップは「A helicopter(ヘリコプター)」と言い、母は「A house(家)」と言う。そして、「大きなきれいな家で、あなたの友達が泊まれるように部屋がいっぱいあるの」と言う。その後、プールサイドでは、「いつか腰を落ち着けれたらいいと思わない?」とも訊く。フィリップは「旅をやめちゃうの?」と訊き(3枚目の写真)、心配して「どこか悪いの?」とさらに訊く。「ちょっと疲れたの」。「働き過ぎだよ。僕に手伝わせてよ。お札を数えるだけでなくて」。「人生は完璧だった。後で 分かったことだが、それは詩的ですらあった。僕らが動き続けていれば、物事は変わらないはずだった」。
  
  
  

夜。モーテルで。フィリップは、母の足指に濃いブルーのペディキュアをしている。「こんなのどうかな… 交代で運転するんだ。僕、上手に運転できないけど、駐車ぐらいはできるよ」(1枚目の写真)。その時、部屋のドアがノックされる〔父=2度目〕。母は、小声で、「ピザ 頼んだ?」と訊き、フィリップが「No」と答えると、大急ぎで荷物をまとめ、はきだし窓から逃げ出す〔警察か、騙した男のどちらかだと勘違いした?〕。夜になり、母は売春に行き、フィリップが後部座席で寝ていると、電話の鳴る音で目が覚める。音は、車のトランクから聞こえてくる。トランクを開けると、鳴っていたのは携帯電話だった。それまで母が持っている場面は一度もなかったので、ドアをノックする前に、父がトランクに入れたのかもしれない。フィリップが携帯を取り上げ、「もしもし」と話すと(2枚目の写真)、「フィリップかい?」と声がする。「誰なの?」。「お前のパパだ。お前やママがいなくて とても寂しい」。フィリップは 慌てて電話を切る〔原作の、父からの最初の電話と、全く同じ台詞。ただし、かかってくるのは、原作では、先に述べたように、ずっと後〕。翌朝になっても母が戻って来ないので、フィリップが部屋を覗くと、母は、ベッドの上に大の字になって寝ている裸の男性の上に地図を拡げている。「もう行き場所がなくなった」。地図にはいっぱい赤で印が付けられ、真っ赤になっている。「毎日旅して、毎晩男だから」。「僕が運転するよ」。「じゃあ、私は飲めるわね」と言って、また飲む。「飲むのやめてよ」。「やめられないわ。母親は、フルタイムの仕事なの」。そう言うと、フィリップとキス(3枚目の写真)。母は、まともに歩けないような状態で車に向かう。
  
  
  

今の母の状態では運転はおぼつかないので、フィリップが代わりにハンドルを握る。恐らく、別の車で引っ張りながら撮影しているので、「駐車ぐらいできるよ」と言っていた割には、フィリップのハンドルさばきは見事。母と話しながら、平気で運転する〔不自然な感は否めない〕。ここで、フィリップが最初に 「時速120マイル出そうよ」 と言っていたことが生きてくる。無謀にも、スピードを上げ始めたのだ。母は、酔ってしても、「これじゃ早すぎるわ。スピード落としなさい」と注意するが(1枚目の写真)、フィリップは話を逸らしながらアクセルを踏み込んでいく。フィリップは「120だ!」と叫び、母は何とかしようとハンドルに手を出す。画面は暗転し、フィリップがソファに寝かされている。「フィリップ… ボクちゃん、起きて」の声で、目を開ける(2枚目の写真)。母の手には包帯が巻かれている。「どうなったの? ここどこ?」。「覚えてない? ニュージャージーに向かってたでしょ。事故が起きちゃったけど、今はもう大丈夫」。その時、家の外から、電動ドリルの音がする。フィリップが体を起こして窓の外を見ると、1人の男性が作業中だった。「天使と会ったの」。「天使?」。「名前はペドロ。医者も呼んでくれた。挨拶なさい」。母に連れられて外に出ていったフィリップだが、ペドロがにこやかに、「やあ、元気か、坊主?」と訊きながら、握手の手を差しのべても(3枚目の写真、作業台に乗っている赤矢印は道具箱、黄矢印は電気ドリル)、黙ったままで手も出さない。これまで、男性といえば売春客ばかりだったので、無愛想なのは仕方がない。ペドロは、そんなフィリップに、「握手は嫌か。構わんぞ。Mi casa es tu casa(俺の家は、お前の家だ)〔スペイン語〕。ここにいる間は、気楽にやってくれ」と言ってくれる。確かに「天使」のような人なのだが、フィリップは、母に、「ここにいる間、って?」と不満気に訊く。フィリップは「動き続けている」ことが好きで、一箇所に留まっていたくないのだ。
  
  
  

ここから、1回目の「定住」が始まる。1日目は、母に、「大工仕事を覚えられるわよ」と促され、ペドロの作業部屋に入って行く。壁には、大工道具がきちんと整理して掛けられている(1枚目の写真)。ペドロは、「何か作ってみたいと思ったら、いつでも言ってくれ」と、親切に申し出てくれる。フィリップは、母のところに戻ると、母は、フィリップの箱の中の「有効期限の切れたクレジットカードをハサミで切って星型にしている。「ねえ、ママ、ここ出てこうよ。車 あるじゃない」。そして、星になったカードを見て、「まだ、期限切れでないのもある」と言うが、「いいのよ。もう要らないから」。フィリップが外に出て見ると、そこには事故でガタガタになった車が置いてあった。これでは、どこにも行けない。車をこんな状態にした責任は100%フィリップにあるのに、彼には反省の気配すらない。ただ残念がるだけだ。夜になり、母とペドロは激しいセックスの真っ最中。慣れているフィリップは平気で中に入って行き、じっと見ている。すると、フィリップの幻想の中で、セックスを中断した母が寄って来たので〔現実には、セックスは続いている〕、「ママ、もう1週間もここにいるじゃない。先に進もうよ」と呼びかける。しかし、母の返事は、「私たち進んでるの。別のやり方でね」というものだった。「別って?」。「成長すること。それが普通のやり方。やっと家庭ができたの、頼りにできる人と一緒に暮らせる場所が」。そこに、ペドロもやってくる。「ママの言う通りだ、坊主。落ち着けるって、いいことだぞ」(2枚目の写真)。この場面、セックスを続けている母と、フィリップに寄って来る母の2つに分離するので、どこまでが現実なのかが非常に分かりにくい〔原作には、こうした表現はない〕。次のシーン。庭先でフィリップがいつもの本を読んでいると、母が、「学校は楽しんでる?」と訪ねる(3枚目の写真)。「まあね」。このことから、ペドロ家での滞在が結構長期に渡っていることが推測できる。映画では、学校のシーンはゼロ、友達も登場しないので、この言葉がなければ、滞在はもっと短いように見えてしまう。原作では、フィリップが長期に渡る「定住」生活に耐えられなくなり、「僕は、ほとんど眠れなくなった」「寝ている時でさえ、起きている夢を見た」と、精神が崩壊していく様が克明に描写されている。
  
  
  

ペドロは、「お母さんから聞いたんだが、もうすぐ誕生日だってな。考えたんだが、パーティはどうだ?」と訊く。母も、「学校のお友達も呼べるわよ」とサポート。ペドロはパーティの楽しさについて語った後、「すごいプレゼントも買ってある」と言い出す。「もう、部屋に置いてある。新品のビデオデッキだ」。フィリップが自室に行くと、ビデオデッキの上に、紙包みが載っている。中には、手紙とビデオのカセットが入っていた。「フィリップへ。私の身元を疑うならビデオを見てみろ。お前の7歳の誕生日パーティの録画だ。最後に私と一緒だった時のものだ。私の見分けがつくだろう」。ビデオを見るフィリップ。そこに、父が入ってくる。父の映像は非現実的に揺らいでいるので、フィリップの生んだ幻想なのだろう。父は、「どうだ? 私はお前の父だと思うか?」と尋ねる(1枚目の写真)。「そうかもね」。「そうに決まってるだろ。本当の父親だけが、ちゃんとした誕生日プレゼントをやれるんだ」と言い、脇のテーブルを指す。「開けてみろ」。そこには、厚さ10センチはあろうかという辞書が置いてある。USP(米国薬局方)とNF(国民医薬品)が共同で出版した医薬品の辞典だ。フィリップが見始めると、ペドロがノックする。父:「静かに、答えるな」。ペドロ:「気に入ったか? 使い方、教えようか?」。父:「私のことは内緒にな」。そして窓から出て行く。最後に残した言葉は、「286ページを見ろ。そしたら分かる」だった(2枚目の写真)。ペドロは部屋に入ってくると、時間をセットしてやろうと親切にも調整してくれる(3枚目の写真)。こんな挿話は、原作にはもちろんない。何度も書くが、父が初めて電話をかけてくるのは、もっと後なのだ。ビデオデッキもなければ、薬剤辞典もない。原作では、先に紹介した文章の少し前に、「僕は、日を追って脱力感が増し、ものうげで注意散漫、かつ青白くなっていった」「ペドロは医者を呼んだ」「学校に手紙が出され、個人指導教師が時折来るようになった」と、悪化の過程が書かれ、そして引用した睡眠障害が始まる(ここまで4節)。原作の5節の冒頭は、「僕は、セコナールがどこに置いてあるかを知った〔最初は、自分の睡眠障害を抑えるため〕だ。セコナールは、薬物自殺にも使われるバルビツール系の鎮静・睡眠導入剤。「286ページ」に書いてある薬剤と同じものだ。原作では、ごく自然な流れでセコナールに辿り着く。しかし、映画では、父の幻影を登場させ、フィリップにペドロの殺害方法を示唆している。非常に強引で、非論理的な筋立てだ〔父は幻影でも、なぜ薬剤辞典は現実なのか? ペドロはそんなものを持っているはずがない〕
  
  
  

次も原作にはないエピソード。フィリップが家の外で、勝手に「ガレージセール」をやっている(1枚目の写真)。そこには、ペドロから贈られたばかりのビデオデッキに加えTVまで置いてある(黄色の矢印)。ペドロが大事にしている道具箱もある(赤い矢印)。母は、フィリップの部屋を覗いた時、中がほとんど空になっているのに気付く。ペドロの作業部屋に行ってみると、壁にかかっていた大工道具もきれいさっぱりなくなっている(2枚目の写真)。母が、フィリップを見つけた時、彼は庭の作業台の上で、売り上げ金を数えていた。「やあ、ママ。ねえ、もうペドロなんて要らないよ。僕たちだけでやっていける」。そして、いつの間にか車は修理されていたので〔藪から棒の展開〕、「ガソリン入れてバイバイだ」(3枚目の写真)。母は、「責められないわね」と悩む。自分の喜びにかまけて、息子の悩みに気付いていなかったことへの自責の念だ〔窃盗をくり返してきた自分の姿も投影されている〕。その後、2人は車に乗り込む。フィリップ:「『進む』って言ったじゃない。なのに、まだここにいる」。「『別のやり方』って言ったでしょ。見えなくても、進んでないわけじゃない。木と同じ。成長してるの見えないでしょ」。「ペドロとずっと一緒にいるつもり?」。「先のことなんか、誰も分からない」。「なぜ ペドロなんかと?」。「とっても親切な人だから。それに、煩わされたくない時、私を放っておいてくれる」。「僕は、煩わしいよ」〔母のペドロを賞賛する台詞は、ほぼ原作通りだが、フィリップの「僕は、煩わしいよ」はない。この台詞で、観客はますますフィリップから離反していく。これほど感情移入できない主人公も珍しい〕。母は、ペドロが作ってくれたペンダントを見せ、「こんなことしてくれた人は誰もいなかった」とペドロを褒める。「パパも?」。「あなたのパパは、買ってくれるだけ。彼の関心は、自分の企業帝国を築くことだけ。それに、私を精神的に縛りつけようとしたわ」。父の実態が分かる唯一の場面だ。
  
  
  

フィリップは、薬剤辞典を見てセコナールを用意する。一方、ペドロは道具箱を新調し、ソフアに座って中味を確かめている。それを見ているフィリップに気付くと、「やあ、坊主、今夜は、冷蔵庫を盗むのか?」と冗談を飛ばす。あんな悪いことをしたフィリップを責める雰囲気はどこにもない。フィリップも、全く謝らない。「ママはどこ?」とだけ訊く。「聞いてないのか? パートに出かけたよ」。ペドロは、フィリップを近くに呼び、話し始める。「俺の道具を売ったのに、俺がなんで怒らないか、不思議に思わないか?」(1枚目の写真)「それはな、ずっと昔に学んだんだ。悪いことが起きる度に怒るのはやめようってな。物事の明るい面を見るべきなんだ。そうすりゃ、マイナスもプラスに変わる」「それにな、あんなことしたのには 理由があるんだろ。俺はそれを尊重する。男には、しなくちゃならんことがある。なあ、友達になろうじゃないか」。ガレージセールのエピソードなど原作にないので、ペドロがこれほどの「超善人」というのは、映画だけの設定だ。そのペドロに対し、フィリップは、チリコンカーンの缶を開け、2人用に夕食を作る(2枚目の写真)。ただし、大量のセコナール入りだ。ペドロは料理を満足そうに平らげる。すぐに薬が効き始め、体が重くなる。「ちょっと疲れたな」。フィリップが手元にあったセコナールの容器が映る。中は空。数十カプセルを全部入れたのだ。その後、フィリップが電気ドリルの先端にドリルを取り付ける(3枚目の写真)。映画はここまでしか見せない。原作では、ペドロをセコナールで眠らせた後、台所の包丁がどれも鈍っており、首を絞めるのに使えそうな紐もなかったので、ベッドの下から道具箱を引き出し、ペドロに向かって、「死は難しい歌なんだ〔Death is the hard song〕。一度しか歌えないし、これまで誰も正しく歌ったことがない」と言う。具体的に何をしたかは、やはり語られない。フィリップはペドロを殺そうとし、殺したと思っている。しかし、本当に死んだのか、重傷を負っただけなのかは、はっきりしない(私は、後者だと思っている)。
  
  
  

電気ドリルの直後に映されるのが、パートから帰宅し、ショックで泣き崩れる母の姿(1枚目の写真)。そして、その次には、もう夜の道を車が走っている〔死んでいたら、こんな展開はあり得ないので、救急車を呼んだ後、出掛けたと考える方が筋が通る〕。フィリップは嬉しそうに後部座席に乗っている。母は、涙を流し、酒を飲みながらの運転だ。母は一言も口をきかない。その夜泊まったモーテルで。フィリップは、以前、男の1人に言われた言葉をそのまま使い、「ママ、ホントだ。ママのおっぱいって最高だね」と声をかける(2枚目の写真)。母は、ゆっくりと振り返ると、「じろじろ見ないで」と冷たく言う。そして、フィリップが寝ると、荷物を持ってこっそり部屋から出て行く。しばらく走り、車を停めて悩む母。彼女は、フィリップを捨てることにしたのか、それとも、ただ頭を冷やそうとしただけなのか? 結局は、モーテルに戻り、フィリップのベッドに入る(3枚目の写真)〔ツイン・ベッドルームなので、わざわざ息子のベッドに入ったことになる〕
  
  
  

原作では、ペドロの家を去った後、しばらく2人だけの旅は続く。一例をあげれば、「ママが整備工といちゃついている間に、僕はスタンドのレジをドライバーでこじ開けて現金を盗んだ」という記載がある。映画にあった、モーテルの部屋からTVを盗むのも この時だ。そして、映画の場面となる。母が突然言い出したのだ。「何を借りたか分かる?」。「ヘリコプター?」。「家よ」(1枚目の写真)〔以前の言葉遊びと同じ〕。場所は、スタテンアイランド。マンハッタンの南西5キロにある小豆島くらいの大きさの島だ。家の中には、まだ何も置いてない。「もう どこにも行かないけど、住むのは2人だけよ」「近所の人もまともそうだし、子供たちもいっぱいる。友だちを作って、子供らしくなさい。今度こそ、変えたいの」。「変えるって?」。「まず、働くことにする」。そして、新聞の求人欄を見るが(2枚目の写真)、前提条件が厳し過ぎるものばかり。「実務経験1年」「英語と韓国語」「博士号」…。フィリップは、「いい考えがある。ペドロと一緒に住んだら〔What if Pedro comes to live with us〕?」(3枚目の写真)「僕、もうペドロに怒ってなんかない」。あまりにも唐突な発言だ。原作でも、同じような台詞は確かにある。しかし、シチュエーションやニュアンスが違うのだ。まず、シチュエーション。フィリップは、母の一種の懺悔の後、「そんなの構わないよ」と自分の懺悔を始める。映画のような「提言」ではない。「知ってて欲しいんだ。僕、もうペドロに怒ってなんかない。僕、とっても利己的だったし、頭が混乱してた。今なら、ペドロと一緒に住んだって構わないよ〔I don’t mind if Pedro comes to live with us again〕」。似ているようで、この2つはかなり違う。
  
  
  

フィリップは、新聞配達を始める。しかし、自宅の前に来た時、1人の男が玄関から出てくる。2人の新しい生活が始まったんだと意気込んでいたフィリップは、最初から障害に直面した。怪しいと睨んだフィリップが家に入っていくと、母は、庭で酔っ払って音楽を聴いている。次に、冷蔵庫を調べると(1枚目の写真)、中は ほとんど空で〔食料すら買いに行ってない〕、入っていたのはお酒ばかり。そこに、父が現れる〔映像が揺らぐので幻想〕。「やあ、フィリップ。ママはどんなだ?」「新しい場所だな」。「どうやって見つけたの?」。「いつでも分かってる。探偵だ。報告書を読んでるが、中にはテレビより面白い時がある」〔原作では、2回目の電話の際に、同じことが語られる〕。「何が望み?」。「お前、そして、お前のママだ。2人とも愛してる」。フィリップは、庭に走って行き、「ママ、すぐ ここ出ないと」と呼びかける。母の目には殴られたアザが〔さっきの男?〕。母は、「何があったの?」の問いには答えず、「学校に遅れるわよ」と行って家に入って行く。追っていったフィリップ。もう父の姿はない。そして、母の姿もない。彼女は、自分の部屋に閉じ籠もって、中から鍵をかけ、フィリップの入室を拒否する。「一人にして」。その時、電話がかかってくる。また父からだ。今度は、現実なのか幻想幻想なのかは分からない。父は、これまでと違い、ビジネスライクな早口でしゃべる。要点の1は、母は今まで悪いことをいっぱいしてきたが(259回の交通違反、112回の軽犯罪、68回の暴行)〔なぜ、フィリップの殺傷行為について言及がないのか?〕、それでも好きだということ。要点の2は、昨年夏にフィリップがスズメバチに刺された時の母の対応(父が医者を教えたのに、母は病院にも連れて行かなかった)(3枚目の写真)。因みに、この会話は原作にはない。中途半端で、その後のフォローもないので、意味・趣旨ともに不明だ。
  
  
  

パパが どんどん近付いて来る。忍び寄る影のように、ママの光を覆い隠す。手遅れになる前に、ここを離れないと」。フィリップが、夜、隣の家の車からガソリンを拝借しようと、ホースを突っ込んで吸引するが、うまくできない(1枚目の写真)。そのとき、ペドロが車の屋根から飛び降りてフィリップの目の前に立つ。「そんなやり方じゃダメだ。見せてやる」。そして、上手にガソリンを吸引する。フィリップ:「ペドロ?」。「そうだ」。横向きの顔には大きな傷が生々しく付けられ、シャツも血に染まっている(2枚目の写真)〔この姿は、フィリップが最後に見た姿の投影だろう〕。当然、幻想上の存在だ〔幽霊ではない〕。「どうして、ここにいるの?」。「こっちが聞きたいね〔You tell me〕」。そして、「母さんの具合は?」と訊く。「あんまり」。「なぜだ?」。「知らない」。「そうか? 何でも知ってたはずだろ」。そして、「ママは、お前のパパは死んだって言ってたぞ」と意外なことを話す。幻想上の人物の話なので、フィリップの意識下の願望なのだろう。ペドロは盗んだガソリンを、フィリップたちの車に入れてやる。その時、フィリップは、「ペドロ、僕って あんたに何かした? 思い出せないんだ」と言う(3枚目の写真)。恐らく、極度の悪行のため、記憶が封鎖されたのだろう。なお、原作でペドロが現れるのは、もっとずっと後になってから。父が一緒に住むようになってからだ。原作では、父の出現でフィリップは変わっていく。「僕は、身だしなみに無関心になった。シャワーも歯磨きもやめた」。そして、マリファナ、ハシシ、ベラドンナにふけり、「部屋に甘くて濃厚な煙のある間だけ、しゃんとすることができた」「誰も僕を必要とせず、僕も誰一人 必要としなかった」。時は、さらに流れ、「生まれて初めて、僕は完全に孤独になった」「部屋のあちこちにビール缶が転がり、ジンとタバコの臭いが充満していた」。そして、以前 引用した「僕は、ほとんど眠れなくなった」「寝ている時でさえ、起きている夢を見た」となる。この時、初めてペドロは出現する。だから、原作では、精神錯乱の産物だとよく理解できる〔映画では、唐突すぎて違和感が強い〕
  
  
  

フィリップが、新聞配達に行った日、ある家の玄関に新聞を投げると ドアが開く。鍵がかかっていないのだ。窃盗に慣れているフィリップは、周囲を窺って侵入する(1枚目の写真)。家は留守だった。自宅に食べ物がなく、空腹だったフィリップは、冷蔵庫を開けると、食料品を配達用の布袋に詰め込み、アルミホイルで覆ってあった料理を口に入れる(2枚目の写真)。その時、もう1人の少年〔原作では2歳年上〕が本格的な盗みの最中だった〔玄関の鍵を開けたのも彼〕。2人は、ばったり出会う(3枚目の写真)。2人は息が合い、そのまま少年(ロドニー)の家に直行。原作ではロドニーは こそ泥ではない。盗んだのはフィリップだけ。「新聞配達なので、バカンスで不在の家は知らされていた。そこで、僕は、事前に選んだ家に侵入すると、宝石や小型TV、コードレス電話、電子レンジなどを盗んでは、質屋に持っていった」。
  
  
  

ロドニーの家には、変わった母親がいた。ロドニーを恐れて下手に出るかと思うと、高飛車に怒鳴る。そんな母親に向かってロドニーが手をかざすと さっと出て行く。それを、ロドニーは黒魔術だと言う。「呪ってやった」。そして、フィリップに話しかける。「お前をずっと見てたんだ。お前には、何かを感じる」(1枚目の写真)「お前には 潜在能力がある。練習すれば、ママを、思い通りにできるぞ」。そして、「これ、読むといい」と言って本を何冊か持って来る。「黒魔術の本だ」。しかし、フィリップ目は、本の後ろに隠れていた「化学」と書かれた箱に釘付けになる。黒魔術の本なんか放っておいて、箱を開けると、中を見て「これでママに何かできるかも。万能薬だ」と言って(2枚目の写真)、中を調べ始める。
  
  

フィリップは、さっそく自宅に戻り、化学実験キットを使って薬品を調合し、できたものをレモネードに入れる(1枚目の写真)〔キットは、唐突に登場する→いつ、どこで買ったのか?/原作には一切登場しない〕。そして、母の部屋にそれを持っていき、「ママ、僕、科学的な進歩を成し遂げた。すごいもの発見したんだ」と話しかける。しかし、母は 眠っていたいから起こすなと言うだけ。フィリップは作戦を変え、「何か食べないと、アルコールは良くないよ。バナナとレモネードなんかどう?」と訊く。「邪魔しないで」。フィリップは、今度は、買ってきた地図を幾つも見せるが、邪険に払いのけられただけ。「どこか行きたいとこは?」。「眠りたい」。フィリップは最後の手段に出る。「パパが戻って来る」(2枚目の写真)「電話がかかってきた。ママのことも知ってるよ。何もかも」「パパに電話したそうだね」。「電話なんかしないし、会いたくもないわ」。「ここ出て 行こうよ。木が 木じゃない所。道が…」。「ダメ。木は木だし、道はただの道。ママは、ママみたいじゃないけど ママなの。すごい旅だったけど 終わったのよ」。「終わったって?」。「あなたの子供時代を もう壊したくないの」。さらに、「私と一緒にいると、いるべき世界を見つけられないわ」とも(3枚目の写真)。「一人じゃ行けないよ。運転できないし、免許証もない」。「私もよ」。フィリップは あきらめて部屋を出て行くしかなかった。
  
  
  

ロドニーは、自分の彼女ベアトリスを紹介してくれる。フィリップは、2人の力を借りて、ベッドで寝ていた母を車まで運び込む。フィリップは、「ありがとう。2人は、ホントの友達だ」と感謝する(1枚目の写真)。しかし、ドアをバタンと閉めた衝撃で母は目を覚まし、フィリップがエンジンをかけようとしているのに気付くと、「何のつもり?」と詰問。「大丈夫。僕 運転できる。免許証だってあるんだ」と母に見せる(2枚目の写真)。しかし、母には こんな事態を受け入れるつもりは全くないので、さっさと車を降りると、アルコール漬けでフラフラしながら、家に入っていってしまう〔原作にないエピソード〕
  
  

母は、また鍵をかけて部屋に閉じ籠もってしまう。そこで、フィリップは、母の部屋の前で眠ることに。そうしていると、またペドロが現れる(1枚目の写真、矢印はフィリップ)。ペドロは懐中電灯でフィリップの顔を照らして起こす。「ここで、何してるの?」。「俺のことなんかどうでもいい。お前こそ、こんなトコで何してる?」。「ママ、鍵をかけちゃった。動きたくないんだ」。「ホントか?」。ペドロは、フィリップを窓から屋根の上へと誘う。「ママは動いてる。お前に見えないだけだ」。「どうして、一緒に連れて行ってくれないの?」。「一人で行くべき場所もある」。「どうして 僕に直接話さないの?」。「話しかけてるさ。目も唇も閉じてるが、ちゃんと話してる。どんな母親にも打ち明けられない秘密があるってな。だが、それで、愛情が減る訳じゃない」(2枚面の写真)。このシーンも、さっぱり意味が分からない〔原作にはない〕。最大の疑問は、「なぜペドロが、プラスの役回りを演じているのか」という点。原作では、錯乱状態のフィリップの前にベドロが現れるのは、父を「殺せ!」と言うためであって、フィリップのメンターとなるためではない。
  
  

次にフィリップの前に現れたのは、父。以前と違い、映像が全く揺らがない。つまり、幻影ではなく現実なのだ。父が 最初にやったことは、フィリップの母が閉じ籠もっている部屋の鍵を開けようとしたこと。鍵穴にピンを突っ込んでいじる(1枚目の写真)。フィリップは、寄っていくと、そっと肩に触れてみる。夢が現実かを確かめるためだ。父は「本物」だった。そして、ピンを曲げることで、ドアは開く。フィリップは、「ママ、パパだよ。入ってく」と大きな声で知らせる。中では、母がぐっすり眠っていた。ベッド端には、フィリップが用意した夕食が手をつけずにそのまま置いてある。父は、母に付き添うように座ると、フィリップに「お前のママの笑顔は最高だ」と言うと、キスをする。それを見たフィリップは(2枚目の写真)、逃げるように部屋を出ていく。父は、目を覚ました母に微笑みかける(3枚目の写真)。
  
  
  

閉まったドアから聞こえてくるのは、2人の言い争い。「自分で何言ってるのか分かってるのか? 助けてやろうと…」。「あなたには、会いたくもない…」。なぜか、フィリップはベアトリスと一緒だ(1枚目の写真)。もっと謎なのは、2人の背後にあるステンドグラス風の3枚の窓。1つ前の、父が鍵穴をいじっている写真を見て欲しい。ドアのペンキははげ、壁紙ははがれている。かなり安普請だ。それなのに、この場面だけ、いきなり 立派なたたずまいになる。ベアトリス:「お父さん 何してるの? 成功した企業家みたいね」(2枚目の写真)「大きくなったら、あんたも ああなるの? 血は争そえないって言うから」。次のシーンでは、父がキッチンに大きなテーブルを搬入し、パソコン等の機器を並べ、厳しい口調で電話をかけている。如何にもやり手のCEOというイメージだ。原作では、「父は、世界中の株式投資分析コーディネーター、銀行の投資コンサルタント、企業の保有ポートフォリオ顧問、産業効率管理エンジニア、代行業者、株式仲買人、不動産仲介業者、公認会計士、銀行家と連絡を取っていた」とあるから、多忙な訳だ。
  
  

公園で、フィリップとベアトリスが話している。フィリップ:「出てって欲しい」。ベアトリス:「誰に?」。「父さん」。「来て欲しかったんじゃ?」。「欲しくなんかない」。「欲しかったのよ」。フィリップには、父の存在が煩わしくなってきていた。それに、ベアトリスが分かってくれないのにも腹が立つ。つい、「何 いいたいのさ?」と言ってしまう。「あんた、よく分かってないんじゃない?」。「分かってないって? はっきり分かってるさ。ママを取られたんだ」(1枚目の写真)。フィリップのこの思いは、次のシーンに引き継がれる。家に戻ったフィリップは、母の部屋をノックする。すると、父がドアを細めに開け、「しっ」と制する。「お母さんが起きてしまう」。「どうして鍵 かけてるの?」。「お母さんには、絶対安静が必要だからだ」(2枚目の写真)。「入っていい?」。「今はダメだ。状態がよくない。心配するな。ちゃんと世話する」。そして、フィリップの目の前で、ドアは閉ざされ、ガチャっと鍵がかけられる。ここはもう、フィリップの家ではないし、部屋の中にいるのは母でもない。すべてを父に乗っ取られたのだ。フィリップの孤独感が、3枚目の写真によく現れている。
  
  
  

夜、フィリップが耳慣れない音で目覚め、1階に降りていくと、そこでは母と父が仲良くマシン運動をしていた〔母は有酸素、父は筋トレ〕。母:「眠れないの?」。父:「降りて来い。話がある」「今、お母さんに、新築中の大きな家のことを話していたんだ」。「ここより、うんと大きくて立派な家なのよ」。「300万だ〔当時の換算で約3.6億円〕」「お前の部屋には なにもかも揃ってる。ファックス、プリンター、モデム、スキャナー… お前のウエブサイトまである」「お前の通う学校は、大統領を6人も輩出してる」「大学も、どこに行ってもいい」。「迷ってるなら、好きなことしていいのよ」「将来、何になってもいいのよ、科学者…」。「投資家…」。「宇宙飛行士」… この話を聞いているフィリップの表情(1枚目の写真)… 可愛いが、何を考えているのか分からない。そして、次の瞬間、フィリップは夢から覚め、今のが「悪夢」だったと悟る。今度は、嫌がっていることが良く分かる。孤独感に加え、寒気のする夢。フィリップは、外に出て、ブランコに座って悩む。そこに、ペドロが現れる。「やあ坊主。なに、落ち込んでる?」。「ママを盗られた」。「差し出したんだろ」。「違う」。「じゃあ、どうする? ボケっと座って 見物か?」。「消えちまえよ」。「お前は父さんを憎んでる。消えて欲しがってる」。「憎んでない… あんまりは。なら、助けてよ」。「奴は お母さんを手に入れた。次はお前だぞ」。「どうすりゃいい?」。「分かってるだろ?」。「分かんないよ。教えて」(2枚目の写真)。「殺せ。今すぐ。殺すんだ。どんな手を使っても」(3枚目の写真)。会話の内容は違うが、原作でもペドロの最後の言葉は同じ。しかも、もっと具体的だ。「殺せ。今夜、お母さんのベッドで、ハムレットのように。朝食の時に殺せ。やり方は教える。お前の車で轢き殺してもいい。毒殺も刺殺も。寝てる間に絞め殺してもいい。とにかく殺せ。どんな手を使ってもいい。今すぐ殺すんだ」。もちろん、ペドロなどはいないし、亡霊でもない。あくまで、フィリップの錯乱した意識が創り出した妄想だ。
  
  
  

フィリップは、ドアのところから母に声をかける。「昼食できたよ。僕が作ったんだ」。母は、「入ってらっしゃい」と入れてくれる。母の前には、設計時が拡げてある。「これ何? 地図?」。「新しいおウチよ」(1枚目の写真)。フィリップは、母が得々として家のことを語るのを見ている。「僕は悟った。ママのすべてのエネルギー、満ちていた光は、パパというブラックホールに飲み込まれてしまった。救うことができるのは化学だけだ」。そして、以前にも使った化学実験キットを使って、今度は毒薬を作る(2枚目の写真)。
  
  

3人がキッチンで食事をしている(1枚目の写真)。毒薬は、父の飲むスープの中に入れられている。父は、これまでの経緯を話し始める。「理解して欲しい。お母さんとの関係は、うまくいっていなかった。だから、出て行くのに任せてしまった。2人とも愛していたからだ。いつかまた 一緒になれるとも思っていた」。「どうやって?」。「一種の実験だった。旅の生活だな。だが 実験は失敗し、お母さんは戻って来た」。「戻ったんじゃない。あんたが来たんだ」。「言いたかったのは、お母さんと私は、お互いが必要だったってことだ。だから、お前には、最大限の受益者になってもらいたい」。これは、将来の保証だ。さらに、「お前は お母さんの世話をして幸福にしてくれた。それには とても感謝してる」と、これまでの行為をねぎらい、「お前に乾杯だ」と礼を言う。この時、フィリップが少し変な顔をするのは、感謝された人間に、毒を飲ませているからであろう。父は、「これ、美味いな。一流のコックになれるぞ」とスープを褒め、スプーンで飲むのをやめ、皿ごと飲み干す。それを見ているフィリップの表情(2枚目の写真)… 可愛いが、やはり、何を考えているのか分からない。
  
  

次のシーン。父は、トイレで吐いている(1枚目の写真)。それから、粉が降っている映像。これは、フィリップが毒を飲ませ続けていることを意味する。原作では、「パパは、すぐに、苦しみ始めた… 結腸痙攣、鼓腸、発疹、めまい、嘔吐、腫れ物、喉の痛み、痔、視力障害で」とある。次のシーン、父の服装は乱れ、立っているのもやっとで、顔は疲れきっている。イスに座って飲んでいるのは、原作にもある胃薬マーロックス(2枚目の写真)。フィリップは、「大丈夫?」と声をかける。「大丈夫に決まってるだろ」。「汗かいてるよ」。「閉め切ってあるからな」。その後、父は、衝撃の言葉を発する。「荷造りするんだ。週末には新しい家に引っ越すからな」。それを聞いたフィリップは、自分の「毒薬」では効果がないと思い、ロドニーの家に駆け込む。ロドニーに頼んだのは、黒魔術を使って父を呪い殺すこと。それなりの雰囲気は出ているが(3枚目の写真)、所詮エセ魔術なので効くはずもない。
  
  
  

フィリップが家に帰ってくると、母が、車に乗っている。フィリップは大喜びで駆け寄り、「すごいや、ママ、どこ行くの?」と言いながら助手席に乗り込む。「メキシコ? 南米?」。しかし、返事はゼロ。心配になったフィリップが、「ママ、どこに行くの?」と静かに訊くと、母は「どこにも」と答える。母の目には涙も。「一緒に行かないの? どうして? 分かんないや」。「気にしないで。子供には理解できないの。子供なんだから」。「話してみてよ。理解できるさ」。母は、「ママが、なぜ、エンジンをかけたまま1時間もここにいたか、理解できる? 私、どうかしてるのよ」。「僕を置いて行けたのに、そうしなかったじゃない。僕と離れたくないんだ」。母は、フィリップを抱き寄せ「ママは、あなたに相応しくないわ。子供なんか持つべきじゃなかった」とまで言う。「そんなこと、言わないで」(1枚の写真)。そして、「パパなんか放っておいて、出かけようよ。夕焼けの下を2人でドライブするんだ」。母は、「もう一度、最初からやり直してみたいわ、2人だけで。どこか魔法の場所で… でも、そんなのは夢物語」。「どこかに、きっとあるよ」。「でも、お父さんに見つかるわ。ただ、そういう問題じゃないの。あの人は、お父さんなのよ。あなたのことを愛してる」〔長々と引用したが、論旨不明の会話だ〕。そこに、玄関から出てきた父が、よろめきながら近付いてくる。「どこか、行くんか? 置いてかないでくれよ」。次のシーンでは、レッカー車が呼ばれ、母の車が連れて行かれようとする。フィリップは、「やめて!」と言いながら、玄関から飛び出してくると、抱きしめるように、トランクの上に乗って抵抗する(2枚目の写真、矢印は引越し用のダンボール)。しかし、車はフィリップの抗議もむなしく持って行かれた。「大嫌いだ!」と父の胸を叩く。そして、家の中へ。2階に上がる階段の途中に、ペドロが待っていた。「今だ、フィリップ。マイナスをプラスに変えるんだ」。そう言うと、赤い道具箱をフィリップに差し出す(3枚目の写真)。「やるよ、ペドロ、やってみせる」。その時、ペドロがフィリップに授ける言葉が、原作では、フィリップがペドロを殺そうとする時に投げかける言葉。前にも引用したが、もう一度、今度は映画の台詞として紹介しよう。「死は難しい歌なんだ。一度しか歌えないし、これまで誰も正しく歌ったことがない」。
  
  
  

父は、1階のリクライニング・チェアに横になってぐっすり寝ている〔後で、睡眠薬自殺を図ったことが分かる〕。フィリップは、睡眠薬のことは知らないので、起きた時、逃げられないよう、上半身を裸にした上で、イスに縛り付ける(1枚目の写真)。一緒にいるのは、ロドニーとベアトリス。前者は積極派、後者は消極派。ロドニーに、「やるか?」と促され、フィリップは父の横に立つ。「ペンチ」。ロドニーは赤い作業箱からペンチを取り出してフィリップに渡す。フィリップは、ひとおもいに胸を突き刺そうとするが、どうしてもできない(2枚目の写真)。「ドライバー」。これも失敗。「ノコギリ」。今度は、首を切ろうとする。しかし、手が動かない。ペドロの笑い声が聞こえる〔聞こえたのは、フィリップだけ〕。しびれを切らし、「やれよ!」と道具箱を差し出すロドニー。
  
  

フィリップは、「暑いよ。何か飲んでくる」と言って、キッチンに行き、冷蔵庫を開けて首ごと中に入れる。フィリップが、冷蔵庫を閉めて振り返ると、テーブルの上に、睡眠剤の容器と1枚の紙が置いてある(1枚目の写真)。遺書の内容は、「息子へ。お前なら お母さんよりは分かってくれるだろう。私がいなくなれば、お前たち2人はきっとうまくやっていける。このことで罪の意識を持つんじゃないぞ。すべて私自身で決めたことだ。私は、進行性の胃癌か、もっと悪い病気で苦しんでいる。眠ることはできないし、片時も痛みが離れないばかりが、症状が悪化し これ以上は耐えられない。私が逝った後は、お母さんの面倒をよく見て欲しい。私が来て目茶目茶にする前、お前たちたけで巧くやってきたように。弁護士の名刺と、5000ドルの現金を残しておく。愛を込めて。父」だった赤字は、原作から一部補てんした部分〕。フィリップは、「僕のこと、愛してたんだ!」と叫ぶと(2枚目の写真)、睡眠剤の容器を床に投げつける。そして、父親の元に行くと、ノコギリを取り上げ、「このまま眠らせてやるもんか!」と叫び(3枚目の写真)、父の頬に切りつける。遺言の内容、そして、「愛してたんだ!」の言葉の後、なぜフィリップは父を傷付けるのか? 映画を観ていても理解できない。この部分について、原作では、「僕は、突然、猛烈に腹が立ってきた。パパは 僕と別れようと考えた。僕とママを捨てようとしたんだ。その結果、僕たちがどうなろうとお構いなしに。僕が小さかった頃の寂しい思い出が蘇った」。それは、フィリップのことなど無視して、車で仕事に向かう過去の父の姿だった。「僕は車を追って暗闇に走っていった。僕がどこにいるか、パパがどこにいるかも分からなかった。その日以来、パパはパパでなくなり、誰か他の人になった。永遠に」と書かれている。少しは、理解の助けになるのではと引用したが、これでもまだ納得できない。
  
  
  

母は、突き放したように言う。「終わったら、出て行きなさい。お父さんにもらったお金を持って。眠ってて何も聞かなかったって、話すわ。フィリップ、あなたのことはまだ愛してる。でも、あなたは、どうやっても あなたなの。お父さんが、そうだったみたいに。いつか気付くでしょう。あるがままに任すべきだと」(1・2枚目の写真)。2枚目の写真で、父の頬にはノコギリで切った傷がある。しばらくすると、サイレンの音が聞こえ、拳銃を持った警官が踏み込んでくる。母はフィリップを庇うと言っているので、いったい誰が911に電話したのだろう? ただし、これは映画の責任ではない。原作でも同じなのだ。全部で5つある章の第4章は、「僕は救われた。警察だった」の台詞で終わる。映画だけ観た時は、フィリップの幻覚かと思ったが、原作にはっきり警察とあるので、本当に来たのだろう。そうなると、先ほどの疑問が再燃する? 一体誰が呼んだのか? 殺傷行為を否定したベアトリスが呼んだ可能性もあるが、原作では、この場面にベアトリスは登場しない。あり得ないかもしれないが、精神錯乱から事に及んだフィリップ自身の潜在的な意識が、電話をかけさせたという解釈もある。そして、最後のもう1つの可能性は、ペドロの殺害を企てた実行犯としてのフィリップを 警察が突き止めたというものだ〔殺さないまでも、重傷を負わせたことは確かなので、「お咎めなし」では済まされない〕。原作は、警察が踏み込んだ直後、第5章に入る。章のタイトルは、「The Hard Song」、あの「死は難しい歌なんだ」の台詞の「難しい歌」だ。どうしてこんなタイトルを付けたのか? 5章には26-28の3つの節が含まれている。このうち、映画では、いきなり最後の28節に飛ぶので、観ていて全く分からない。そこで、ごく簡単に26・27節について触れておこう。フィリップは、まず、青少年の矯正施設に送られる。そこで、係官から、「自分が何をしたか分かっているか?」と尋ねられ、「覚えてないよ。でも、きっと悪いことだろ。でなきゃ、こんなトコにいるハズない」と答える。それに対し係官は、「君のしたことは、非常に悪いことだ。君を愛した人々の命を危険にさらした。多くの人々を怯えさせた。君自身をもだ。だから、君は何も覚えていないんだ。君はそんなことをした。信じられるか? 自分のしたことがあまりに恐ろしくて、記憶を消したんだぞ」と告げる〔殺したとは言っていない〕。29節で、フィリップは病院に連れて行かれる。そこで、1人の男と出会う。原作には「the man」としか書かれていないが、実際には、フィリップの父のことだ。フィリップは、譫妄状態にあったため、父の顔を覚えていない。だから、「男」との標記されているのであろう。この「男」は、顔の右側に大きな包帯を巻き、鼻梁から首にかけて縫った跡があると書かれている。これではまるで、映画の中のペドロだが、この「男」は、フィリップに、「私たちは、一緒に家に行こう。素晴らしい家だ。ベル・エア(Bel Air)〔ロサンゼルス北の高級住宅地〕の一等地にある。恐ろしい場所で過させて悪かった。だが、どうしようもなかったんだ。この件では、優秀な弁護士を2人付けている。お前は、明日、お母さんと私と一緒に家に行くことができる」と話しかけることから、「父」だということが分かる
  
  

そして、場面は急に豪邸に変わる(1枚目の写真)。映画では、警察が来てから一瞬のうちに ここに飛ぶので非常に分かりにくいが、前節で説明したような経過があったことを知れば、なんとなく納得できる。すっきりしたモダンなキッチンで、父とフィリップが話している。「新しい家、新しい部屋、新しいベッドでの寝心地はどうだった?」。「すごく良かった」。「聞きたかった言葉だ」。そう言うと、父はフィリップにシリアルの皿を渡す(2枚目の写真、矢印はノコギリの傷)〔原作より、かなり軽傷だ〕。「ギルバート博士の話では、自制心の欠如が お前をあんな行動に走らせたのだそうだ。自制心という言葉には冷たい響きがあるが、自制心がなければ 世界は立ち行かない」「予約を入れておいた。ギルバート博士と栄養士だ」「これからの数ヶ月、最も大事なことは、家族としての関係を樹立することだ。分かるな?」。原作では、「僕は、病院から、『男』と『女』と一緒にベル・エアにある大きな家に移り、私立学校に入学した。週3回、心理学者と栄養士の一団がやってきて、僕をにこやかに診察した」と書かれている。ほぼ同じと考えていい。映画では、次に、フィリップと母が、プールで、水面に浮かぶマットレスに寝ている姿を映す。「学校、どうだった?」。「いいよ」。「面白かった?」。「うん、化学が」。ここからは、フィリップが一方的に話しかける。「すべてが、動いてるんだって知ってた? 動かない石や木でさえ。万物は 原子でできてるから。そして、原子は常に動いてる。きっかけあれば、分かれようとするんだ。離れ過ぎると、石は 石でなくなる。木も 木じゃない。例えば、蒸気になれば、もう見えないよね。原子がバラバラになるから。宇宙と同じだ。膨張してる」(3枚目の写真)。母:「とってもいい学校ね」。ここまでのシーンは原作にはない。この時、飛行機の音がして、フィリップのそばに紙飛行機が着水する。そこには、こう書かれてあった。「やあ、坊主。計画通りにはならなかった。お前は、今、私と一緒にいる。ママは? そう… どこかに行ってしまった。思い通りにはいかないものだ。だが、心配するな。ママは多分戻らないが、すぐ近くにいる」。場面転換があまりに急だが、どうやら、最初のプールのシーンと紙飛行機のシーンの間には、時間が経ったらしい〔この展開も原作にはない〕。映画の最後は、フィリップが、夕焼けの海岸沿いに自転車で走るシーン(4枚目の写真)。ここは、独白だ。「ペドロは二度と現れなかった。僕とママは、って? ママは、一件落着だと思ってる。でも、僕は、もっと知ってる。ママが僕をホントに愛してくれてた時、僕とママの化学反応をホントに感じてた時なら、こんなことなんかしないはずだ。もし、僕がまたママを好きになっても、この思いは変わらない〔微妙なニュアンスの台詞なので、誤訳の可能性あり〕。原作でも、似たような記述はある。「普通の子供としての暮らしになって不幸だと感じたことはなかった。しかし、時々、じっとしていられなくなった。そんな時には、夜、両親が眠ると、最近「男」が買ってくれた小さな赤いスポーツカーを運転し、サンセット大通りからハリウッドに向かった」。しかし、原作のラストはもっと厭世的だ。一番印象的なのは、この言葉。「思い出すことができなければ、戻る途はなかった。そして、僕にはできなかった。思い出せなかった」。この映画と原作、ともに、観終わって、読み終わって、楽しいものではなかった。
  
  
  
  

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